polieco

それにしても。

それにしても。となるとだ。反対側からはこんな怨嗟の声が?ふほは、違うか、、 古いこの酒場で たくさん飲んだから 古い思い出はボヤけてきたらしい 私は恋人に捨てられてしまった 人はこの私をふだつきと云うから ろくでなしろくでなし なんてひどいアーウ…

だから学社連携という語句は、大嫌いなのだ。

文化財保護という権力行政と教育の区別ができなかった、無思想だったのだろう。 う〜む、学校教育ほど、なんだかんだで権力を渇望する環境もないではないか。で、カッテにいがみ合って荒廃し、コンテンツに手が回らずアウトソーシングする。だから自前でやれ…

朝日遺跡の検見塚

と、つぶやかずにはおれず、poliは、さらに検見塚へ視線を移す。 自動車道に埋没、累層させ不可視となってしまうのも、消費の作法からなかなかポストできない、超えられない、アポリアな表象。 各自異なる選好によって、思い思いに地所はおろか、空間をも消…

時は流れ。。。

SNSとかいう、全然ネットワークしてない即席カルトみたいなCocoonが無数に転がっている。藤森がみた"グルと弟子たち"みたいな、娑婆っ気ないそういう"ぷち世間"がそこいらに。そんななか、遺跡を体験学習の場にするという。共有地の悲劇における、共有地とし…

豚、はなちますか?

と、言っても、意図が分からないかもしれないですね。それにしても、風土記の丘。歴史の里。◯◯歴史公園。なんなんですかね。自分で自分を褒めてあげたいヒトの記念物か何かですかね、これは。

見田宗介2008『まなざしの地獄』河出書房新社

ヴィルノ、パオロ2004『マルチチュードの文法』月曜社

"見入る"のも、過ぎたるは毒! になってしまっている。解放という自由の難しさから逃避するために見入っているなら、ほんと毒だね。単系への収束なんて然り。。ひつこい、、、、 ランシエールは上の自著の方が、「アルチュセールせんせいがおっしゃるには、…

ランシエール、ジャック2013『解放された観客』法政大学出版局

ドゥボール、ギー2000『スペクタクルの社会についての注解』現代思潮新社

ドゥボール、ギー2003『スペクタクルの社会』ちくま学芸文庫

松田政男2013『風景の死滅 増補新版』航思社

2013/10/26 戦後の日本とフランスにおける埋蔵文化財保護行政『連続講演会<日仏における考古学と埋蔵文化財>』於:日仏会館(恵比寿)

梅原末治や金関恕の丸パクリか!!とか言わないように。モノとヒトの関係の結び方。これが、この陳腐に響く染み付いた生活観のようなものが、日本考古学の関心の中心にあって、また先の単系の進展観の誘惑に動揺することなく分析するための基底たるものとし…

ちなみに。(もういるのかもしれないが、)

LINEはフォネー(声)のre-gainである、という発想がもたげてくるというのなら、安易な妄想であろう。つの丸、というかマキバオーのスキンヘッドみたいなアイコンや写真が飛び交い、明らかに「見る」ことを誘っている営為ではないか。単に2chのlegacy化にみた…

そもそも生業に例えるならば、、

享受者のいないシステムを開発するSEなんて、crazyなアレであろう。違和感の何者でもないのである。

、、したがって。

データベース化と目することのいい加減さの、そのいい加減たるところは、使い手と享受者が未分離、というよりもその発想には使い手しか存在しないのである。

DBの話に戻れば、

この数年、ビッグデータというコトバが独り歩きしている。ここでnoSQLというタームが同時に飛び交い、これを差してRDBMSの後継などと書き立てる向きがあるが、結局のところ、これも単系的発想の帰結に他ならない。升目から層へカタチを換えただけのことであ…

東浩紀2001『動物化するポストモダン』講談社現代新書

データベース化というプロセスに「推移する」かのような説明を目にした段階で、本を閉じて、屋根裏に投げ込んだ。も〜〜こういった単系的発想には辟易していたからである。単なるブレイク処理だろ、これ。。

しかし。

この拮抗の劈開をもたらすのは、裡なる自己の否定か裡なる自己の肯定か、はたまた両者を看たうえでの裡なる自己の止揚、か? この問いは、どうしても立ち塞がっている。何年たっても。。。。ああ。そうそう。行政内研究者などという開き直りは、解決でも何で…

嗚呼、、、poliなんぞ思いつきだ。。。。

ステレオタイプで聞き飽きた感がする。だが、正しい。 過日、検見塚を行き交う人々を思い記したナイーブなpoliの言なんぞに比べ、、 懇切で直球でいまいましいくらい。だが正しい!!! 説明を厭うpoliの怠慢が際立つ。。うう。

失望の検見塚。人々は去り、別の人々が集り、今日の検見塚ができあがった。

失望の検見塚。人々は去り、別の人々が集り、今日の検見塚ができあがった。 〜前掲のブログ記事、「失望の検見塚、希望の検見塚」より 人々と入れ違いに入ってくる別の人々、この変化。そしてもはやこれを所与とする事態は、枚挙に暇がない。これも、要する…

ああ、まあ。そりゃ。ね。

そういうトコロですよ。そこは。。 彼らのように経済活動を模索する気があるというのことなのだろうか。あんなにそういうことを毛嫌いしてきた畑の面々が、なんでこんな選択をするのか。甚だ疑問なんですけど。 岡本俊朗たちによって、とっちめられたそこの…

久しぶりに目にする。このコトバ、、

脚本でなくて、自身から発露したコトバ、だったわけですね。。。 中途半端な正義は一番の悪。。。 〜南波次郎こと松本人志 サンデルを褒めそやすなら、こっちもアリなんでね〜の、と常々思っていた、至言、である。

細田衛士1999『グッズとバッズの経済学』(第2版 2012)東洋経済新報社

仮に動産として、その先に生じる新たな言分けを、、、環境経済学は議論していたりする。

それにしても。

こういう回避行動を巧みに行なってもなお縋ってくるような被験者にラカンらはどう処方したのだろうか?さぞ質の悪さを感じたのであろうが。。。こらこら。

念のため。

これで終始するのではなく、須原はあくまで主題に至るケースの一つとしてこれを挙げているに過ぎない。

う〜む。これかぁ?

案外綺麗なもんじゃないよね 恋に揺れる君の瞳は ソーダ水飲み干してから 僕はさっと席を立つ 僕はさっと席を去る 店を出てからは 自分の冷たさに 気がついて次の感動をもとめる でも、君を追いかける事は できないよ これに素晴らしい!とラジオで唸ってい…

須原一秀1992『超越錯覚』新評論

この彼女がタバコをふかしてブラック・コーヒーを飲みながら、「傷ついた女の子」を友人達の前で演じることに若干の快感を感じていた様子は察することができます。とすれば、少なくともその瞬間だけは失恋という嘆きをそのまま失恋したヒロインを演じる喜び…

更にネットワーク図、ですか。。

パワポのネットワーク図を眺めつつ。。。 ネットワーク理論において、これが人為的な構成かという検討において、六次の隔たりとかスモールワールドネットワーク等々、導きの糸とするわけだが、櫻井さんが以前検討した対象を読み直すような試みが効いてくるの…

バラバシ, アルバート=ラズロ2012『バースト!』NHK出版

、、、そういえば、前の駒沢のとき、17:00回っているのに猛烈な勢いの競歩で校門へ疾駆する竹岡大センセイを目撃したことがあったが、、、気のせいか、、、、でもループタイだったしな。。。

バラバシ, アルバート=ラズロ2002『新ネットワーク思考』NHK出版