瑕疵。だな。

この方向だては。


システム=配置という把握をキーにまだグルグルするpoli。
過日のpoliより
 上のような衝動に駆られ、これが迷走だったことに気付くきっかけはここにあった。

産業系博物館が1920年道府県市立商品陳列所規程を契機に脱博物館化して以降棚橋源太郎が定義するところの普通博物館、専門博物館(歴史・科学・美術)を、大阪府は設けていない。もちろん、産業博物館として建設促進され、1929年に開館した大阪工業奨励館を忘れてはいないが、寡聞にして設立以降博物館としてあつかわれてきたことを知らないのである。
犬塚康博2009「博物館外部システム論」『人文社会科学研究』第19号 千大大学院人文社会科学研究科 pp.103-104 ll.40, ll.1-4



もしかして、端から府の制御化にあると某知事のような把握を伴にして試行すること自体が迷走の因であった、ということか。
その予感は以下の一節によって顕在化する。

博物館に関する大阪府政の史的空洞こそが、府立4館宙づりの理由のように思える。
上掲書pp.104 ll.13-14

ちっちっちっ、poli君。キミもあの術中にハマったのだね。

そんな失望の声が聞こえてきそうだ。う〜みゅ。
 広瀬鎮の述懐によって本書でも示されているが、空洞というよりも、博物館というメディアのマーブルチョコレート化したそれぞれの自存した状況をサブカルチャー=下位文化と断じ、その状況把握を自ら放棄した文化庁の態度は暗喩が効きすぎなくらいである。敢えて付け加えておくと、ここでマーブルチョコレート化としているのは、過日に示したグローバルの逐次的な反作用とは異なるものである。
 とはいえ、前々から触れてはいることであるが、poli自身、制度とというものは政体が占有する持ち物とは思っていない。
上のマーブルチョコレート化したメディアはそういった政体以外の主体によって培われた制度とみている。だからこそ、政体に吸収を画策されたり、そこから奪還したりの揺れを意識するデリダやナンシーに思考を脇において、迷走していたわけである。
ウォホォ〜、へたな弁解。、、、、まったくだ。