荻野昌弘2002『文化遺産の社会学』新曜社

 ここでも、件の齟齬を図らずも感じとっている模様である。
 荻野昌弘は、いみじくも佐渡宿根木の「三角屋」とガイドブックに紹介されていることのある家屋のあるじの言を引いて、保存地区とされたこの地域にあって、住民は、、、


あたかも「伝統」を保持している天然記念物のような存在としてありつづけることを制度的に強要
(「終章 保存する時代の未来」『文化遺産社会学』, p.276 ll.28-30)
、、、されている、と荻野はみる。さらにそういう制限を出来させる権力の源には、近代社会が不便さを克服してきたというシナリオが擦り込まれていることにまで及んでいる。
 先の『ゲンダーヌ』からの引用中のオタスは、まさにそういった権力の具現化そのものにほかならない。すなわち、ゲンダーヌたちの不興を被ったシシャ(=日本人)はさしづめ、宿根木など小木町を保存地区にせしめた東京のプランナーや、これを享受しようと町の小さな木戸をくぐる観光客といったところだろうか。そして過日の書き込みをしたpoliもどんなに思いを馳せようと、結局この類をでるものではない。口惜しい。と、書いているpoliはホントにあつくるしい。