J.R.ヒックス1985『経済学の思考法―貨幣と成長についての再論』岩波書店


重要な箇所を引用していったら、きりがない。少し読んだだけで、私たちが考古学という窓から覗き見ていた相手(遺物とか遺構とかいっている考古世界)がいかに矮小で部分的なものであったかが、痛感される。
考古資料の解釈に民族事例を参考資料とするといった、それこそ矮小な利用方法ではなしに、未開社会から現代資本制社会に至るまでの連綿たる人間の営みにおけるもの世界の位相、もの世界を通じて伺うことのできる人間社会の総体的な位置を認識しなければいけないのではないだろうか。

伊皿木さんブログ「第2考古学宣言」20070117記事より

 そこまで卑屈になるこたあない。かと存じます。
 スガオではない山内によってその市場観が引用されたヒックスを例にあげましょう。彼は、何もはじめから大きなものを俯瞰する視点を初めから定点に据えていたわけではありません。それこそ、矮小で部分的なものから説明するところから発して、その境地に至ったのです。そのときの仕事には、ヤリすぎな公務員試験にも登場するマクロ経済学上の分析法、IS-LM分析があったりします。また需給関係において、時間概念の導入するなど、そのミクロ経済学上の分析視点の進展にも功績を残していた。この功績が、スウェーデン銀行賞(ノーベル経済学賞)の受賞理由となったわけです。が、この時既に引用された観点に基づく研究方向にあった彼はとまどいを隠せなかったといいます。これが、よく現れているのが、本書というわけです。
 引用された市場観は、直接には『経済史の理論』(1995 講談社学術文庫)にあるわけですが、この視点は当時としては斬新であったようで、厳しい批判に晒され、この弁明も本書執筆の動機となったようです。
 彼が利器として用いた一般均衡理論を形作ったレオン・ワルラスの市場観は、ヒックスのそれが出る以前の標準となっていた、といえます。それは商品の取引においてその価格を決定するのは、互いの商人たち当事者ではなく、そこから独立した存在(一部研究者は”競売人”と呼称する)による上下の調整によってある、と。
 が。通り一遍等に青物でも仕入れるかのように
らくさ〜つ!!カツカツカ〜ツ!!
みたいことをそうそう四重やってられるかいっ!!
いやいや、鐸だってないだろ仕入れだっていう話が当然でていたわけです。(たとえばマーシャルなど)でも上の利器の裡にはこの鐸の音が鳴り響いていた。そうじゃなくて、取引の当事者同士の決定モデルがあるだろう。むしろそれが身分たちが分析に通している現象面を生みだしている源泉ではないのか?では実際の文献資料からあたってみようではないか!!とはじめたのが、ヒックスの『経済史』であったわけです。彼は経済史には2種類あるといいます。

経済史家の大部分が関心をもっているのは、そのうちの第一の種類の経済史であり、筆者が関心があるのは第二の種類の経済史である。筆者が関心をもたない部分は生活水準についてであり、それが時間を通じてどのように変化し、また一つの住民によって、あるいは一つの住民における一つの階級によって達成された生活水準が、その同じ時点で、他の住民や他の階級とどのように異なっているかについてである。これらの事柄についてごく最近を除いてすべての期間についてえられる情報は、農業についてである。もっとも簡単に観察しうるのは、主として食糧品である農産物の消費水準である。この消費水準の変化の理由を調べるとすれば、答は主として人口圧力にあることがわかる。しかし、これらは人類の文明と特別の関係にないことが注意されなくてはならない。動物の生活水準あるいは昆虫の生存条件さえも、生態学者によって同じように分析されうるであろう。筆者はこれらの研究を軽視する意図をもたない。これらの研究は確かに必要であるが、筆者の考える経済史ではない。
 筆者の関心は、より狭い意味における経済活動の出現である。すなわち、経済計算を行なう人間、現在においての「経済人」と呼ばれる人々の出現である。現在のわれわれの「経済システム」は、(「資本主義」国と同様「社会主義」国においても)これらの人々によって作られたシステムである。筆者は、これらの人々がどのようにして出現したかについて注意を払おうとした。
(前掲書p.243 ll.9-16, p.244 ll.1-7、太字・斜体の強調は引用者)
 市場という契約関係を形成する成員自体の正体の解明に挑む、これがヒックスの求めた方向性である。この成員=取引の当事者は、資本主義だろうが社会主義だろうが代わりがない。彼のなかのIS-LM分析と経済史のあいだには、ケインズの一般理論の内容を同時発見したといわれる、カレツキらからの影響を受けたケインズの高弟、ロビンソンの攻撃や、彼女を核に展開した資本論争が出来していた。そのなかでヒックスは、IS-LM分析の提唱者として、しばしば彼女らの八つ当たりにも近いクサに晒されていた。ロビンソンをはじめとした上の渦を作っている面々は”ケインズ革命”の担い手として闊歩し、その直後マルクス経済学の波にさらわれた。ヒックスのほうは、先のクサにも感情的にならず、不明点があるというなら、これに対応するに留め、常にその渦の外にて静観していたのである。そしてAだぁBだぁと行ったり来たりするのはほっといて、そのelementへの遡及を希求した、ということが先の引用にて強調した箇所に反映した態度に現れている。


 本来この舞台裏は、根井雅弘によって、(これとかあれとかそれとか、ですが)何度となく語られてきたのでpoliのダラダラよりふさわしいのですがね。
 poliがヒックスをダラダラ引用し蛇足ともいえる説明モドキを行なったのは、意図的です。意図とはポランニーの希釈です。残念ながらポランニー兄弟は、なぜか反動臭プンプンな言説から引用するケースが目立つ。そもそも同義の研究方向に位置する普遍経済学バタイユ)などは、栗本慎一郎によってポランニーとごった煮に煮込まれてしまい、どっちらけではないか。ポランニーもバタイユも接地してではなく俯瞰して総説したため、反動的にもそうでなくも解せるということだろうか。
 百花的なポランニーは、魅力はあります。が、それに臨んでさらにわが身をみて、矮小などと言ってしまっては、第1考古学とバイパスしつつ進展するという第2考古学ていったい?ってことになりやしませんかね。poliにはそういう危惧があるからこそ、どちらかといえばelementへの遡及を求めるヒックスを介するほうが、バイパスする意図にとって利があるとみたわけです。が。まあ。チョー主観バリ入っているわけで、暇なときに『経済史』の方をポランニーと併読するなんてぇ、ひまじゃね〜って。
 ちなみに。<使用のための生産>と<交換のための生産>、<必要のための生産>と<利潤のための生産>の2側面に示されたペアの関係は、かたやヒトとモノを因子とした「使用する」という契約関係、かたやヒックスがみたヒトとヒト=商人と商人を因子とした「交換する」という契約関係、といった制度=擬制とみることができます。山内昶は、過去の亡霊といいますが、ヒックスとを鑑みるに、この関係性は時系列を貫くそれ、というのがpoliの見立てであったりするわけです。が。
ん?またウンコな議論、、
、、、やもな。