考古学=歴史学、というのは???

 そしてKOneさんの使用痕分析を例に表明した懸念は、考古学者が示そうとしている有意性の方向が、歴史叙述であって、ここからあまりに遠い、ということもあった。ここにも敷衍すれば、Y市育ちの小学生として、自由研究から始まったpoliやKOneさんが初めて手にした叙述が、郷土史家の叙述そのもの、あるいはちょっとキレた恩師の授業の脱線(あいにくpoliはこの形で恵まれたことはない。学校はpoliにはやさしくありませんでしたもので)という体裁であった。そういう善くも悪しくも有象無象が跳梁跋扈していた地の利にあったがため、歴史としての叙述が時間の矢にのっかったまっとうな文献史観のルールをやや逸脱した、ほぼ同時期という絨毯を特定の小道具が転がり展開する社会史に近いそれであった。そのため、学生時代は、年報学派のほうが親近感が湧いたしでもなんであんなに訳書が高かったわけ?未来社よぉぉぉ、藤原書店よぉぉぉぉ!色川大吉の活動はどこか作り物のように映った。そうそうそう、E.H.カーは対話などと言っているけど、対話ってじぶんは対話したことあるんかい、と何かしっくりこなかったってのは、みんなと同じである。


そもそも日本考古学=歴史学なんて誰が決めたわけ?

 いやあ、杉原荘介とはいいませんがね。
 矢羽根に引っ掛けるのも、絨毯に転がすのも、どの叙述の手段、あるいはデータ構造を選択したのか、ということではないか。ただ、どちらを選んでいるはずだし時期の位置づけを欠いては、形をなさない、ということである。形をなしていないことに気付かなかった結果、失態を犯した出来事こそ、ねつ造の一件ということになる。褐鉄だの、黒土だの、そんなものが見抜けなかったということよりも、もっと本質的で取っ掛かりに位置するのは、このプロセスであったのだ。
年表を念頭に置いて思考する考古学研究者が今どれだけいるのだろう。興味のある時期のみをもっぱらとするのも結構であるが、これを欠いては浮き上がるばかりではないか。poliは、上の問いを臆面もなく問う者であるが、念頭から年表を捨てて思考することはただの一度もなかった。これを書き付けたときは、特に、意識的に。だった。
 あ。そうそう。ひつこいながら派生して。もう一発屁でもヒテおこう。