気を取り直して。

 何も上のようなネガな話をしたかったわけではなかった。そこで今回話題となったことが行ったり来たりである。
 彼には、例えばどうしても石器の使用痕研究に有効性を見いだし得ない、というのだ。3000回、10000回、n回とはいうが、確かに摩滅はそれだけで生成するわけではないとはいえ、こんな反論はお見通しで、作用点とは別の部位の摩滅の観察も踏まえて分析してるでしょうね???あれ、してない?ええ〜!というのがpoliの印象である。
 ただ。poliもKOneさんも石器に接したのは、実測を通してであり、excelSPSSやはたまたRというノリではない。そのため、土器と違って、クセともいいたくなるような石器の個性、というかその造形にもどかしい思いをしてきたくらいだ。
だまって実測しろ!!
などと、いつだかむくつけな言を発したのは、そういった我々をもどかしくさせるような、個性=多様に対して鈍感になってやしないかという疑問の発露である。
 多様を一般化することと、多様から特定の一つを切り出して視ること。ちなみに、これを短絡にも客観化と主観の認知と片付けて、そのうえ伊皿木さんの思索をダシに話をすすめようとしたのが、
あのわからんちんどもであったわけだが。
 結局あの命題の難渋さというのは、一般化することでそこに現れたもの、今度はそいつの特質を説明する段になったらどこを指し示すのか、ということである。KOneさんは、この脆弱さをみたのではないだろうか。というのも、その枕に話していたのは、統計処理の有意性の問題であったことから、そうカッテに推量するpoliである。たまたまこんなんも読んでいたせいであろうか。