ローレンス=レッシグ2001『CODE』翔泳社

 ここで突っ込みが多分2つ。一つは、

ガイシュツだろ!!

ということ。それから前回の、


制度の実体は、その使用をも帯びている。ということである。
(2007-03-27の5段目)
と、そのガイシュツに記されている。

情報とその使用とがなす形態は、制度のそれを帯びている。




これもガイシュツなのね〜〜〜

ということ。以上。

、、
、、、
いやいやいや、おわるなよ。
 ただ、制度へのまなざしにおいて、poliは、この愚考をもってメンガーレッシグがリンクしてもうている。そういうことである。
 レッシグは、このフィルタリングという手段を含めた、この〝見えない規制〟の発想を、アーキテクチャと呼ぶ。その使用は、既にフランス革命のパリにおいて見られた、とその例示は、えらい遡る。

  • フランス革命の力の一部は、パリのアーキテクチャからきた。パリの狭くくねった街路はすぐにバリケードを築けたので、革命家たちは絶対的な武力が少なくても都市を制圧できた。ルイ・ナポレオンⅢ世はこれを理解して、一八五三年にそれを変えるために手を打った。パリは再建され、広い街路と複数の通路を持つようになって、蜂起者たちが都市を制圧するのを不可能にした。

(『CODE』p.164 ll.10-14)

んん?変なことを思い出した。宇沢弘文があるアメリカの建築家じゃなかったジャーナリストを紹介した文章である。その建築家ジャーナリストは、住みやすい都市の四つの条件の一つとして、以下を示したというのだ。

都市の街路は必ずせまくて、折れ曲がっていて、一つ一つのブロックが短くなければならないという原則である。幅がひろく、まっすぐな街路を決してつくってはいけない
(宇沢弘文2000『ヴェブレン』岩波書店 p.194- ll.16-17, p.195 ll.1 太字強調は引用者。)
これは、高名な建築家でアメリカの大都市の再開発の立役者であるコルビュジェの「輝ける都市」に真っ向対立するものであった。ちなみに上の引用の「幅のひろい」「まっすぐな街路」がこれにあたる。
 そう。これだけみれば、アーキテクチャ復権である。しかしこの建築家の目的は、なんと、フィルタリングと並立したアーキテクチャの手段であるゾーニングの対立項として挙げたものだったのである。ちなみにゾーニングとは、その呼称の通りゾーンを形成する、つまり、一区画一機能で区分けして管理する方式である。商業地区、住宅地区、文教地区など。○○工業団地とか何とか学園都市、とか、大連の工業大学街とか。この建築家ジャーナリストがこれらを否定する理由は、こうだ。

アメリカの都市で、ゾーニングをして、一つの機能しかはたさない地区ができると、夜とか、週末には、まったく人通りがなくなってしまい、非常に危険となってしまう。
(『ヴェブレン』p.195 ll.14-16)
 都市が複数の機能を選択肢に持っていても良いではないか、というのだ。
ちなみに、この建築家ジャーナリスト、名前をジェイン=ジェイコブスといい、この小説の作者である