「わが脳天気考古学は永久に不滅で〜す」かぁ??

 伊皿木さんの三田の考古学、シリーズ化の見込み???そこにある底意はこれ。なのだろうか。


見物人がいなくてゆっくりと発掘できて目指す資料が得られればそれでいいのか、結局、発掘調査というものが、誰のために、そしてなぜなされなければならないのか、このことを踏まえているかどうかだと思います。これは考古学に限らず、全ての学問について、そして現在についても言えることです。
2007-03-19の伊皿木さんのコメント一投目より
 戦線にのっかって調査に出張っているから悪質なのか。違うのは、その後の長〜い戦後日本考古学がどうだったかを考えれば明らかだろう。だから、そんな善悪の判断をまさかしないだろうが。まあ。

あ〜のね、ぼ〜くね、あそこさ、出るじゃない??だ〜からねぇ、


ほりたいのよぉ!!





ほりたいで、はいそうですかってわけにいかないでしょ!!

 二人の別の行政担当者から、この種のやり取りがあったことを伺ったことがある。
 背景がどうあれ、大戦を跨いで、かような精神もない交ぜにぐいぐいおされてきた、それも日本考古学の貌でもなかったか。
 そもそも、使命でやることが悪質なことから脱せられるものなのか。それも分からない。より多くの理解を得たいから使命を負おうとするのは、やむを得ないような気もまたするし。ただ、同日付の本文に引かれているように


本塾大学では此度皇軍慰問を兼ねて支那学術調査を行ふことになり
とか、

此の地に砲台ありし為多少戦火を蒙つて居るが、重要な史跡なりと雖も敵が利用せる以上、之が破壊されるのは当然で、之を利用した敵兵こそ文化の破壊者の名を負はねばならない。
と、いったように、現に使命を〝やつした〟臭気がプンプンしているではないか。
 こういうことを瑕疵として省みる態度は、他の地域ではそうないのではないか。日本が捏造だの、歴史修正主義だのと、やいのやいの騒いでいるのは、他の岬のボヤなのだ。
ここで。