後藤総一郎『常民の思想』風媒社

 敗戦を挟んで大衆論を論じてきた戦後民主主義の代表的論客、丸山真男の次世代として橋川文三が現れた。彼がとある一学生に大衆論への傾斜するにあたって奨めた研究対象は、柳田國男であった。その学生こそ、本書の著者後藤総一郎である。
 後藤は、柳田國男の常民の再検討を深めていった。その成果物であるといえる。同時にここで彼は、師が追跡してきた大衆の実体 occurenceの中から、近代化と対峙する常民を抽出することを企図していたことが垣間見える。


当時、新進農政官僚としての柳田が、明治末期の重い病理を超えようとして、その基礎視角として「常民」の「生活そのもののなかに」それを求めようと志したのは、一体なにゆえであったのか。そのがひとことでいえば、「常民」の生活への内在的理解をまったく欠いた明治国家の官僚的画一主義への激しい怒りと、その挫折から生まれた認識であり、また理念であったといえよう。(p.121 ll.12-15)
それからもうひとつ。これを支えるかのような指摘を常民への視点を介して行った先達として後藤が挙げているのが、谷川健一である。

それまで私は戦後思想のある側面にどうしてもついてゆけないものを感じていた。それを一口に言うとなれば、民衆啓蒙思想ということができる。マルクシズムにせよ、西欧型民主主義にせよ、私にはそれがやり切れない。近頃は大分少くなったが、作家の書く社会論ふうの人生論にもそれは、残っている。この啓蒙思想のいちばんイヤなところは人民をもちあげたり、君と僕とはおなじ人間だと猫なで声で言いながら、民衆を見下していることである。しかもそれに本人が気が付いていない。その原因は本人がいつも人民とか市民とかを抽象的に考えて物を言っているからだ。普遍的な人間の認識であるかのように言いながら、その実、ヨーロッパ中心主義やヨーロッパ第一主義を克服できないイデオロギーにたいする私の不信感は、人民や市民という言葉をふりまわす連中への不信とつながりあっていた。
谷川のいう、このそれまでとは、柳田の『桃太郎の誕生』で出会うまで、をさしている。
この著書にて柳田はお伽話の伝承を通して「庶民の独創的な可塑性」を示した。さらにこの可塑性に対置させていたのが、「お伽話の陳腐な型」をおしつける権力をもった支配階級や知識層の膠着性であった。ヴィルノのいうように人民というものがこの支配階級に収斂される立場とすれば、この可塑性の遣い手は、もう一方(!)ということに????
 後藤の著書をヴィルノと併記した理由はここにある。
実は、橋川ともう一方の流れで藤田省三がいる。両者の影響を受けた後藤よりやや若い世代の著作を次に挙げておきたい。

 私が後藤総一郎と市村弘正をこのゾーンで挙げたのは、マルチチュードの「群論」に接触していたのが、何もヴィルノネグリ+ハートだけではなく、日本にも無意識的ながらいた可能性もいくばくかでも想定して頂きたかったからである。
 うう、市村弘正についてはカタリたいことがたくさんありすぎて、poliのアタマの整理は目下のところ、ついちゃいない。