パオロ・ヴィルノ2004.1『マルチチュードの文法』月曜社

 以文社の若き好敵手、月曜社が放ったこの書の上梓は、的確極まりないものだったように思う。厨先生は、ネグリ+ハート『帝国』に対して近経への沈潜が足りないという指摘を行っていた。が、本書に対してその指摘はない。「労働する」ことについて論じるにあたって労働する主体に焦点があり、一般化へとシフトしていないからだろうか。
 果たして現代社会を動かしているのは、人民なのかマルチチュードなのか。序文よりこの問を巡る語らいは、スピノザVSホッブスより発しているということから始めている。国家に収斂される人民と、国家に収斂不可能な個々のマルチチュードたち。ちなみにホッブスはこの語句を使ったわけではないが、この収斂不可能な実体を表したかったからこそ、
自然状態を一箇の化け物とはとらず、混然とした獣の群れに例えたのである。(過日書き込みの付記の誤りへの気づきはここからである)