失望の検見塚。人々は去り、別の人々が集り、今日の検見塚ができあがった。


失望の検見塚。人々は去り、別の人々が集り、今日の検見塚ができあがった。
〜前掲のブログ記事、「失望の検見塚、希望の検見塚」より
 人々と入れ違いに入ってくる別の人々、この変化。そしてもはやこれを所与とする事態は、枚挙に暇がない。これも、要するにそういうことであるし、近代のそれは、特にこのケースばかり当てはまる。そしてこの状況に変化はない、といってもいい。
 だが、所与ではないし、慣習などではなかったはずである。
 変化がないのは、考古学者が遺跡が地所という異なる方途に転形する生産ラインの労働者とみなされることを認めている、ということである。

マズイ。非常にマズイ。

本の置き場所がどうだ、とか、土偶、宇宙!!とか、そんなことよりも、質の悪い刷り込まれたマズイことなはずなのだが。。。。