ということで。

 欧米だの日本だのどっちの考古学が優れているかなんぞ、でかいのちいさいのといった中二病罹患者(初期)の問答にしかみえません。グローバリゼーションなんぞ、帝国主義マルチチュードとともに、単なる出版の営業やマスコミ内のマイブームなんで、どうこう品評される資格はないでしょう。ほっとくべきです。
 とにかく。前提たる現象面への注視・照応が薄まる危惧、あるいは逃避する態度の表れが濃厚ならば、それは大樹でも、こちらがよりかかったと同時に倒れることでしょう。


もっとも。
その樹と共に倒れるのも辞さずっっっ!
というなら、それはそれで結構なのですが。

ほんとうに、、、学問特に考古学が認識論から制度に転化する必要があるのでしょうかね。