poliは、相変わらず

 レンフルー&バーンを読む気が起きない。poliがケチクサくて、腱鞘炎が怖いというのは、確かに理由のひとつではあるがおうおう!!『ゲーデル・エッシャー・バッハ』で懲りてんだってんだよ!!レンフルー『文明の誕生』(岩波書店, 1979)が、思いのほか現象面が欠如した仮説過多なものだったためである。ゴードン・チャイルドからどれだけ進展したというのか。

、、、もういいだろ、それしばらく置いとけって、、、、、

というのがホンネであった。C14への応答という意味合いはあれど、である。『ことばの考古学』(青土社, 1993)を続行していればなぁ、という話ではあるのだが。
 過日茶化しマガイのにっきを記したが、あのような仮託が出来する危うさは、そういう肥大した仮説という"石の塔"を、ぐへへへ〜言いながら、躊躇無しに為し崩す、賽の河原のオニのような、すなわち遺跡、遺構、遺物が成す現象面への注視・照応が排除されていることからくるのではないのか。