品川歴史館特別展「日本考古学は品川から始まった」(〜11/25)
この講演会にて、斎藤忠さんに代わって館長である坂詰秀一さんが喋った。考古学の文献渉猟でも著名で、件の一つ目のラインの"領袖"そのひとである。その彼が、『日本考古提要』という著作を巡る学会の個人攻撃とその著者の没落があったことに触れていた。
これと同時期にまた別個に似たようなことがあった、ということは、網野善彦が晩年まで幾度が対談で触れていた山中共古と坪井正五郎の話からも伺える。poliは、山中をキリスト教布教運動闘士と目す戯作者思考な坪井のアレルギー反応、のようにみるわけだが。あ・却下?却下ね、、、はいはい。
そんなことをいったら、終戦後10年近辺の学会周辺とて、この種の軋轢などギョ〜サンあったように思うのだが。
- 多すぎて?
あるいは、
- 関係者がまだまだ健在で?
はたまた、
- 2つめのラインの帷幕から見据えている目が怖くて?
語られないだけの話で????ともあれ、ラインがどう選ばれてもそういう同種な軋轢が学問と関係なく生じてしまうことは100年経ようが変化ない、ということである。
ま。どうでもいいわけね?きっと。
みんな自分大好きだし。いや〜おまえもなpoli。んだんだ