権威付け、あるいは重み付けが介在?

A … 善の根拠=学校という権威
B … 「ちがわない」根拠=教授の関心
C … 「商品」である根拠=商取引という契約
以上のような権威付けあるいは重み付けが働いているようにpoliには映るということである。
 ジョバンニに擦り込まれている善と悪は、こどもだからではなく汎的なものではないだろうか。
 即せば、父は標本として公共の監視の場に多数の目に曝される場に"置いた"から、善だと見なされた。多数決を背景とした権威付け、重みづけである。権威がそれを2別しているのである。あるいはジョバンニ個人としては父自体が権威、だったのかもしれない。いずれにせよ、厳密には善と悪の判断とはいい難い。公共善は多数決の形をした権威を背景とする「善」の模造である。