B.G.トリッガー1991『歴史科学としての考古学』雄山閣

 大学一年になって、初めて購入したもの。う〜ん、
まるで、なってないchoiceだね
だって、ニューアーケオロジー運動なんて背景なんて、しらね〜じゃん。なんで買ったのよ!!どんだけ背伸びしてんのよアホかよ!poli


時は経て。
 ホダーは、結局相変わらず今回も、ニューアーケオロジーの反運動の領袖のひとりとして、そのまま葬り去られた模様である。


1980年代以降の<アンチ・プロセス>の諸動向は、「ポストプロセス」として概括したり、あるいは「コンテクスト」の名称をもって代表させたりするよりも「多様な対抗的ミニ・パラダイム群」のうちでも「批判理論」を考古学研究へ導入した点こそが、結果的にそれ以前とは決定的に異なる次元へと議論の場を引き上げる契機になったと考えられるので、仮に名づけるのであればそれにふさわしい名称のほうが適切かもしれない。
(『心と形の考古学』p.246 ll.15-20)
 poliには、素直に議論が時間的に推移したととらえる方が、対立公式に置くよりも無理がないと考える。上掲書の日本語版への序に示したトリッガーのコンテクスト考古学観がそれである。

コンテクスト主義(contextualism)の基盤は、ホッダー(1982b)によって、次のようにうまく要約されています。物質文化は、生態学的適応ないし社会―政治組織の単なる反映のみならず、真の社会関係を反映すると同時に、いつわりの人間関係をも反映する能動的要素なのだ。それゆえ、コンテクスト・アプローチをとる者は、考古学的文化の各部分の重要性を理解するためには、ありそうなすべての局面を吟味することが必要だ、と彼は主張するのです。コンテクスト・アプローチは、また、特定の文化ないし特定の文化伝統に特殊なことと、通文化的に一般的しうることとの区別は有効でないとします。
【引用者略】
これらのトピックスは、プロセス考古学者にとってはほとんど関心のないものでした。といいますのは、これらのトピックスは、生態学的制約への関心と統合するが容易でなかったからです。対照的に、コンテクストの関係を尊重する考古学者は、個々の文化に置ける秩序(order)を追究しており、この種の文化現象に関心を持っています。コンテクスト・アプローチは、また、ある社会の成員が、ある一時点で共有している多くの知識や信仰そして価値について説明したり、変化を構造化する時に積極的な役割を果たしている要因として文化伝統の重要性を強調するのです。
(上掲書 pp.4-5 ll.21-25, ll.1-16。強調は引用者)
 若干、トリッガーの感情移入が纏わりついた筆致であり、彼もやはり対立図式で観ているきらいはたしかにある。ともあれ。
 説明を包括的に行おうとする動きに対し、それらが捨象する特定の文化、またはある社会の成員の生成物、あるいはある一時点の生成物をありそうなすべての局面から見いだす。とのこと。
 脈絡はどうあれ、これを実践する問題意識を看取できるのが、誰あろう、小杉自身の議論である。

かつて筆者は縄文草創期後半の石器群に対して「石器装備」「石器コンビネーション」「石器経営」という概念を用意して分析を実践した(小杉・鶴田 1989)。石器装備とは日常生活を維持するために必要となる石器の組合わせのの相対である(同前:328)コンビネーションとは、特定の規則(コード)によってむすびつけられた複数の器種間の関係とその具体的なあり方である。石器経営とは「集落経営(あるいは居住地経営)を維持するための石器コンビネーション間のシステマティックな関係とその具体的な在り方」(同前:375)である。
(『心と形の考古学』p.270 ll.24-30。強調は引用者)
 実は先に示した日影山遺跡の分析の話である。そして強調表示した箇所=石器コンビネーションの範疇内の二つの系こそ、先の二つにあたる。
 poliが、ぎょっとしたのは、この符合よりも、この構図が先日示したバクハツ頭先生による言語ゲーム各個撃破戦略(いわゆる後期とよばれる『哲学探究』の思考)のそれと相似していることのほうであった。
ええ〜、気のせいだろ。
ええ。全能とは言わねえよ。でも無理くりじゃねえし。偶然だよ、偶然。