で。

 fischeさんの発表からは、博物館が研究機能と教育機能を兼ね備えていたというのは、表向きで、博物館法規下の博物館をその形成過程からみれば、実は教育機能を内部化することが当初から断念され、研究機能が跛行することを余儀なくされていたことが明らかとなった。
 但しこれは、法規下という限定である。そしてここで問題としたのは、更にこれを適用する側の遵守・適用の実態である。
 教育というのは、先の啓蒙と同じく、外から持ち帰りこれを内に浸透させていく方途ともみてとれる。少なくとも今回のように研究と対置すれば尚更である。
 現行の趨勢が上の法規の示した方針に右ならえしたことによって、学芸員がますますハコに引きこもる大義名分を得た形に陥っている。制度の下げ渡しである。
 この傾向は、図書館法との比較からも明白であるとfischeさんはいう。図書館法が施行当初より、〝図書館奉仕〟をその責務の一端としていたのに対し、博物館法には、〝博物館奉仕〟はない、とのことである。fischeさんはこれを指して、20世紀の学芸員像(なんかこういう模型のような括りは、経済人みたいだ)は〝サービス無き博物館の教育なき学芸員という句で表現した。
 上のような背景の中、いわゆる博物館学学芸員課程は、どのようにその偶像に挑むのか。これが、ここで突きつけられたテーマであった。(開催者。シンドソ〜。ま。圧死は当事者じゃない死。てバカ)