ジョセフ・L・サックス2001『レンブラントでダーツ遊びとは』岩波書店

 われわれのように、考古学をかじったというなら、遺物であろうが遺構であろうが部材であろうが、もはやそれが当初の用途から放たれた存在となってしまった埋蔵文化財に関わった以上、文化財がいかに価値の好況・不況に翻弄される存在であるか、ということを強かれ弱かれ意識はできるにちがいない。しかし文化財と決めつけるのも、廃棄物と決めつけるのも後出してきたわれわれ当世の人間である。
 本書はアメリカにおける文化財に類するものが現代生活のなかでどのように見なされているかが多く例示されている。その例には近年の日本においてもリアリティを帯びてくるものばかりである。そしてそのほとんどがどうすることもできないものである。
 日本における、公共財を私財に近い柔軟な運用を待望する態度は、市場化テスト法の〝自動的な〟可決・施行の過程や、行政法人化された国立の博物館、某最高学府の資料館の動きからも垣間見ることができる。そのなかでこの価値のズレの毀誉褒貶を考慮する態度を表明したのが、『ミクロコスモグラフィア マーク・ダイオンの[驚異の部屋]講義録』(2004 平凡社)を著した、先の資料館の〝主〟たる西野嘉章、ということになろうか。もっともな〜んかこう、ヲタ道へひた走る〝ミスター・ストイック〟臭が横溢しておりまつナ!みたいな。
 しかしこんな意識しているだけでは比べ物にならないくらいに拙速を旨とするのが「興味ナ〜」な無粋で退屈なげすやろ〜キヨくタダしく現代生活をしている人たちである。かつてこういう人たちのご先祖サマが廃仏毀釈ウッホッホ〜とやったがために、関野貞がその対策を構じるため奔走したことは前に紹介した。ま、彼らには彼らの理屈があるし、今も昔もそれで世間は動いているし。本書の例は、本当に読み進めるにつれ、気が滅入ってくるほどにそう思い知らされる難題ばかりである。
 法の救済が求められるとするなら、しばしば挙げるベッカリーアの罪刑法定主義のように量りに掛けるモデルを求めるのが、価値流動型の文化財には至当であるように思う、まこっちは民法で、ベの字は刑法はなわけだけど。しかし先の市場化テスト法は果たして情況に翻弄されていないなどといえるのだろうか?いつから時代と寝るようになったのだろう。政令ならともかく。
 仮にも法を名乗ってるわけだろ?なんじゃああれは。秤に掛ける、つまり衡平という意識を欠いているのは明らかであろう。自由の女神の向かいにその祝福を受け入れようとする両腕を、後に出張ってきた某施設の一方的な解釈で撤去。両者の解釈は並立するべきもの。というのが6,70年前に日本にこの国が吹聴した事柄ではなかったか。吹聴された日本も、健気っつ〜か、『民主主義』とかいう教科書まで作ったりなんかして。そういう出所であるこの国だからこその意識すべき衡平の適用がみられる。とおもいきや、、ま。あれがアメリカ社会の表象、とでもいうべきか。
 poliは、環境経済学に興味をもったこの人との語らいのなかで、公共財と私財の差異や世代間衡平性といったものが、埋蔵文化財の置かれた状況と相同していることに気づいたのである。上に示したように財に関しては、先の人が記した見取り図(上掲書の「博物館の「財」「価値」に関する研究ノート」)にあるとおりである。
しかし世代間衡平性の欠如というのは、いままで示してきた情況に翻弄されるその要因にほかならない。

かつて大事にされていたものが今じゃゴミ同然、

とか、

へ〜何?あんなゴミみたいな物が、○○万円のシロモノ、、オシ〜ことしたね〜、

とか、

ちきしょう、海苔屋のばばあ!!!
毎日爪に火を灯すようなしみったれた生活してっから、
その爪の火が燃え移っちまったんだぁぁ!

とか。



このげすやろ〜!!!そんなやつが黄金の羽根だぁ金持ち父さんだぁ夢みて〜なこと思ってんじゃあね〜、ごるぁぁぁ!


、、、と、とりみだしまして。気オ取り直して。

 最後の久蔵さんの災難はともかくとして「んだよ、ちぃっとくらい夢見させてくれたっていいじゃあねえか!!」【東京都・自営業談(大阪府・同様一通)】ま、スパンの短い価値の変動が久蔵さんひとりのなかでブンブン振れていたみたいですけどね。、上2者のうち、後者のようになったら後の祭りだからこそ、前者の段階で未然に施策に入る意義がある。

簡単にモノいってんじゃね〜よ!!このバカpoliがあぁぁぁ!!

ほぉ〜?ではその簡単とやらを難なく納得した上で関わっていらっしゃると。そうおっしゃいますか?そぉ〜っすかぁ????にしては、原因者負担の法的な緩さを指摘した和田勝彦氏の喚起に、一同キョトーンで現在に至る。とはどういうことっすかね。
 国民共有の財産は、当代に生きる者同士のヨコの共有のみならず、当代より永代に至るタテの共有も願ったものであるという認識は、欲しいのですが。ま、これが一番無茶振りなんすかね。