だいたい「急ぎ働き」って、ほかに言いようがあったろが、poli

 で。Bに基づき、Aを駆逐してBで定立するという「急ぎ働き」を働いた論文、と記した件ですね。
 アウトとはいってません。「急ぎ働き」とは書きました。「ウワー、ずる〜」整合性がないから、こんなクサをしたわけではありません。
 御論は、集合論に象徴されるような、絞り込んで把握する指向性をもった閉鎖系のデータ構造に捉え直すことを思索したとお見受けしました。
 比較的人心に膾炙してきたツリー構造(例えば鈴木道之助によるものなど)のような開放系とは独立した観点であり、過去に竹岡俊樹による朱雀台遺跡の分析で眼にした記憶があり、確か第10図は、竹岡の集合モデルのそれを思わせるものとして想起させられた次第です。
 某学生らが扱った対象は、母岩を伴うものも含む類と共に、そのカテゴリに入らない類、敲打痕のある礫も含まれていました。この資料を扱う目的が再報告ではなく、そのコーパスのなかで特定の類を抽出して分析・研究することにある、というのなら、異存はなかったわけですが、それを資料分類の体系の俎上に乗せるのは、片手落ちである。それがpoliの見解でした。ま、要するに彼らは、そのカテゴリ外の類は石器に非ず、とそれとなく排除したかったのかもしれませんが。
 分類の完全体系だと真に受けてしまっていた彼らは、頂けないのは勿論ですが、御論を通して、御論で資料方法を駆使できているものだけが全て、と誤解したことにその頂けなさがある。
 poliがかつて記した形をとれば、御論で展開されているプロセスがBであり、その前提の羅列(御論ではグルーピング、しかも決まりごとを形作る為の前駆的なグルーピング)する作業がAにあたる。「質問2題が関連づいているような」というpoliの杞憂は、そういうことで、poliには、このAが見えず「急ぎ働き」と舌禍を引き起こし、伊皿木さんはpoliの「羅列をもそっと」云々を、擁護じゃねーくぁー!!と疑義を覚えた。
 とはいえ、後者の件は、伊皿木さんにとってはとんだとばっちりだよな〜今更、何言ってんだ!グダグダじゃねーか!
 というわけで、Aまで示せなんて、poliの身勝手な要望なわけです。しかしそうでもしないと、一体上のような輩は、見えないAの作業が見えない=いらないと本気で思いこむ。もー、どーすんすかー?あれ、というのが、更なるpoliの危惧というか杞憂というか、そんなヤツなわけです。