あの〜羅列効用説なんて、ジェボンズのパクリみたいで面はゆいっす

 まず、羅列の効用、云々というのが擁護だという話ですが。まあ、そう来ますよね。やっぱり。
 先に申し上げます。何のために並べているのかはっきりしない並べ方なんて、究極的には
ない!
これがpoliの結論です。ではその釈明説明を。
 もし、逆に、
 何のために並べているか分からない無目的的な羅列をしろ!
と、求められたら、どうします???それも、
自前で、手づからやれ!
っていわれたら。腐れ文系アタマな駄目PGであるpoliなんぞにとっては、そんなんただの嫌がらせとしか思えません。
 しかしこの要求に応えているのが、セキュリティのため暗号を生成する職業の方、またがそれを破る方(おい)、それからゲームプログラムを製造している方、そしてこれを破るべく、某所に出没するか or 毎夜毎夜逼塞するA-Boyの特定Tribeの皆様(コラコラコラ、偏見だぞ)。こういった方々は、そういう無作為な羅列、というか発生パターンを製造しようと、または見切る、もとい予測しようと格闘しているわけです。そのせめぎ合いの中心にあるのは、乱数発生器と呼ばれるプログラムです。そう、ヒトの手づからの作業ではなく、コンピュータに頼ってしまっているわけです。そしてじつはどんなに無作為に近づこうと、プログラムはその分散を設定したうえで設計される性格上、いつかは作為に気づかれてしまう。でまたなんとかそれを免れるプログラムが登場する。や〜、なんともはや。いたちごっこなわけです。
 と、まずこのように、今回の議論のように作為をもって並べるということとは、反対方向に=無作為に並べるという行為を示しました。で。その視座の中心にある乱数発生器という存在を考慮すると、無作為であろうが、作為であろうが、
「並べる」あるいは「人為的に発生させる」という行為自体が、根源的に「何らかの為に」行っているそれにほかならない。
 ですから、究極的にははっきりする。というか、
はっきりさせるためにその学問やってるんじゃなかったでしたっけ???
 ちなみにこの根源的な行為を大前提とする研究手法こそ、モンテリウスの考古学研究法、所謂型式学的方法というわけで、この方法は、63年前や84年前なんてケチなことを言わず、100年は経過しているものの、まだ議論の核として存在している。その「長寿の秘訣」なんじゃそりゃこそがこの根源性ということなのかもしれません。