武蔵小金井コミケ、行ってきました〜ネコ男

 第1会場の発表を、正午まで。
 もはや、成果の発表ではなく、記者会見だね。ただの総会屋だよ、竹岡俊樹。感情論で攻めるのは、自らの説得力ある持論を歪めることになることをちっとは学習してもらいたいのだが。そんなだから、いつまでたっても遺物の観察の重要性にたいし、意固地になっているのではないか。(どっちが大人げないか分からない。そんな感じ)
 「後期旧石器、中期旧石器、前期旧石器、この区分ははさんしているわけですね」といっていた権威は、「4層の石器は、後期のテクニックに存在するものなのですね」といっていた。
その区分が破産したっていったのは、てめ〜じゃねーか!!
ぐらついているのは、発表者だけではない。あなたもぐらぐらだ。というか、区分なんて最終的に確定するコトバの表層に云々するのはやめろ。その点、発表者の方のほうが、そこに逡巡することなく、内容にコミットする姿勢がみえていた。ラングの専制に飼い慣らされているのは、その権威の方であるのは明らかだ。
 とはいえ、確かにテクニックなどの遺物そのもの観察より、層位にばかり頼ろうとする姿勢は気になったけども。でも二次堆積だのなんだのといっていた権威も、結局そこは頼らざる得ないわけだろな。
 いずれにせよ、反動などもってのほかだし、バランスが悪いのは非常によろしくない、そういうことだろね。
 上の二者の発表のあとの3になる直前、とっとと出て行く聴取者。節操のないこの会の毎年の風景。セクト臭ぷんぷんでいつもうんざりである。その発表、竹佐中原の報告。調査方法・報告・情報開示の軌跡。すべて安定した形をとっている。当初はこうだったのだろうが、捏造以後、あらゆる「僭主」があらわれ、戦々兢々として、研究者間のコミュニケーションをとりづらくなったことにあるのではないか。
 それだけにこの発表の内容を聴いたことで、目の前が明るくなるような気がした。もったいない奴らだ。食わず嫌いもたいがいにせ〜よ、タリバあンどもが、ナハハ
 あ、そうそうもうひとつあった。高原山の「原産地遺跡」の発表。その発見の過程を伺いながら、思い出したのがこの本。