これだけ

 厨な雑言を、特に考古学に対し(つ〜か、アレが考古学なのか?と、いったら我が輩の指導教官みたいだが)言っているが、ここは、
コテハンな発言ばあっか抜かす、コテブロである。
ブォケ!!!そのコテではないだろ!!
「籠手風呂?コテブロゥ〜なんてマンデルブロ〜みたいな語感で言ってて気分がよい。オレ響き中心。」おまえもアフォだろコノ!!
 そっちのテクニカルな「何の?2ch的な?それともホントにネット技術的な?」C/S巡りにそういう質問を断じてするな!!代物ではなく、
肯定!!
、、のコテである「ダジャレかよ!!」ああそ〜だ。古きゆかしきダジャレだ「古きモノかぁ?」だから深く追求するなって言ってるだろ!!
 ま、アタリィとか臆面なしに言っているし、あのクソ人類学者の駄本は敢えて紹介しないとか言ってるしホント言わずもがな〜な感じである。では敢えてなぜ言ったのかというのも、パオロ・マッツォリーノこと、マッつぁんの苦悩のなかに確かに肯けるものがあったからだ。このセカイにて、コテハンな発言はマイナス評価で用いられるらしい。で、何がマズイのですかいね?「現状に満足していては!」なんていうなよ、クォラ!だいたい、そんなポジティブなもんが、
こんな後ろ暗いセカイをウロウロするかぁ!ゴルァァァ(嗚呼ハァ、ジギャ〜ク)
否定ばかりでも、前に進める保証は何もね〜っつうの。
 さて、ここでそのマッツァンの「直言」である。


 『反社会学講座』が評価されたことはもちろん嬉しかったのですが、一方で私は、世間を小馬鹿にするだけで満足する冷たい皮肉屋を増やしてしまったのではないかとの危惧を抱いていました。ですから、世間知・専門知などと珍妙な区別をしている学者たちに『反社会学講座』が支持されていたと知ったとき、私は軽くショックを受けました。やっぱりか、と。
 社会と人間を肯定する気持ちが根底にあるからこそ、皮肉をいっても許されるのだと私は考えています。だからことあるごとに、私は現代の社会や人間に絶望などしていない、と主張してきました。人類はずっといいかげんだったし、いいかげんな人がたくさんいる、雑多で多様でいいかげんな社会だからこそ、おもしろいんじゃないですか、と。
パオロ・マッツォリーノ「●最近の仕事と心を病む優等生(2006.3.1)」『最近の○○』
で、こういうのもひっくるめて、山形浩生は、「必死だな」とのコメント。まこれは、彼がネットの住人としても、ほんとにレトリックに長けている(舌戦の猛者。笹子才蔵?まいいや)一端の一端が表出しているだけで。ただこの言について、面白くないから云々とかいうクサし方の説明自体がらしくもなくなかなか面白くない。例えば、かつてあなたはご自分の大学の同期に見舞われた凶事を書き込んだ者へ真っ正面から怒りをぶつけたことがありました。これは面白くないとかそういうことではないです。にもかかわらず、
ヤマガタヒッシダナ〜
なんて、書き込んだ方あほんだらはいましたっけ???
 あなたのクサし方はこういうことをしたのと同じととられてかねません。いいんですか?ほんとにそれで。
 いや、言ってもうたのは仕方ないから訂正しろってことではないけど。
 何せ、おもろいのもおもしろないのも
雑多で多様でいいかげんな社会だからこそ、おもしろいんじゃないですか
というわけで。やっぱ、あっしはコテブロゥ〜な感じで。是非。