木村衡『古代民衆寺院史への視点』岩田書院

 本書を前に何度引き返したことだろう。正直頭の整理がつかなかったし、今もついていない。
 私はこの著者に出会い、教わり、語り合ったことで自らの考古学像と学生時代のそれとの差分へのわだかまりを溶くことができた。なぜなら、彼こそが私などより先に考古学への愛憎を繰り返し、その振幅を地域行政における埋蔵文化財の担当者の重責をして増やしめ、思い悩みつつ、壁を乗り越えてきた人物として私の前に現れたからである。
 その生涯の最後にきて彼が抱えていた問題意識の一つに、「なぜ遺跡の守るのか」というアポリアがあった。自主発掘の汎用性の是非を巡って論争を行ったものの、両者の視点には齟齬があった。先行者には、市民運動という錦の御旗があり、後出者である彼には、そんな過去の事象とかかわりなく担当者として従事せねばならない。ましてや担当者を先行者は敵としてしかみない。彼らなりの論理が極端に自動化されているように映る。
 私は、彼が学芸員となって最後の展示が終わった直後から、またこの話題を少しずつでも再開しようとまた文献渉猟をしていた矢先、訃報に接した。次に示す書は、そのときの収穫のひとつでもある。