杉村廣蔵『経済学方法史』理想社

 さて、本書は溜めに記したものである。杉村廣蔵については、これにくわしい。
 私自身は、これで氏名を周知していた程度であった。で、本書は明大前の古本大学で手に入れたものである。う〜む、アタリィィ。
 アダム・スミスを経済学者ではなく、道徳科学の研究者として捉えた杉村は、近年の経済学者と違って『道徳感情論』と『国富論』に断絶があるという立場をとっていなかったことが分かる。彼は、利己と利他という二分法にこだわる論者は、ここに断絶をみてしまうのだ、と指摘する。つまりこの2者を止揚した地平からの観点が樹立すれば、そのような難問ではないと言い切っている。
 ここに描かれる杉村にとってのスミス像は、アマルティアセンが一連の自著にスミスを基盤に置いたのかということに目を開かせてくれる。それは杉村自身が、そもそもセンが標榜する指向に近い経済哲学者として、先に紹介した左右田喜一郎を引き継ぐ存在であったことからも明らかである。
 丁度、白田秀彰その文章のなかで上の2著の難解さと同時代人が『道徳』の方を評価したという史実にとまどう様子を目にするし、そのうえ、『道徳感情論』、『法学講義』と相次いで岩波で復刊されたタイミングで、この杉村の言説を目にしたときは、ホントにぎょっとしたものである。
 功利主義へと脇道を逸れれば、この利己と利他の間を止揚する過程に出くわすことだろうが、ま、今はいいや。戻れなくなりそだし(アア??)