それをいうなら、レントシーキングの、、とかレモン市場の、、とか(おい)


遺跡発掘という事象をも消費の対象としてきた一つの結末。シ◯Mも消費財と化すのか???〜poliのつぶやき

消費一般に非ず国独資下の消費だろお?ティヴァなんとかトキオなんとかは生産点か消費点か?〜orenestさんの、上へのレス
国独資??ん!見覚えが。そしてなにやら違和感が。と約ひと月ほど思考停止。




姫岡玲治。か?
今、青木昌彦。そして。

で。poliのアラと違和感。

 生産消費の脈絡にこだわったために、アラが出、といって国独資に違和感が残った。
国家独占資本主義の略であり、言い出しっぺは、例の激情気味の禿頭才槌頭である。彼にとっての国家は、ブレのない圧力で自分達を踏みつける存在を指した。しかし。そういう国家と比べて、この例もそしてこの国もどうだろうか。随分と低い位置で"天の下知る"といったミョ〜な共和もとい協和的なというかブレ、があるだろう。模索を20年超の年月継続してきたところが膠着したままとは思えないし、こんなpoliなんぞの口ばっかの偏屈の戯言にリツイートしたりしている。むしろ異見を求めているのだ。。。

ただ。危惧が含まれているとすれば。

 その国独資にしろ、ミョ〜な協和な在り方にしろ、危惧が含まれているとすれば、特定の少数者で決定すると、一面的な施策や価値判断に収まってしまう、ということであろう。そして。これが協和を求めるフワっとしたものの正体であろう。突如背景の情報なしに尾張氏を出すことに違和感を表明したorenestさんの指摘は、いみじくもこの危うさを衝いている。膠着した少数者間の非対称情報下にて、レモンと成すか、ピーチと転じるか。ともあれ、研究者の"欲望は欲望である"とともに、狭い見識にとどまったその状態こそ、レモンを創出する温床に他ならないのである。

森本和男2001『遺跡と発掘の社会史』彩流社

 ここでは施策側の着地点までが語られていたおゆみ野ふれあい公園であるが、実際ここを訪れると、おゆみ野の森を育てる会の活動によって、清掃されたり植樹されたり畑が作られたりする森の中に上赤塚貝塚や古墳群が守られていることがわかる。

陸平をヨイショする会2004『ようこそ陸平へ』

 この会も、草刈りに集い行うことからはじまった。それに接すると、選好がガチッと想定されたソフトを初手から提供するのがはたして望ましいのかどうか、という戸惑いがモヤッと残る。ライブラリを提供しDIYだぁぁ!異界では、、くらんべりぃだか、ぶるぅべりぃだが。。わざとだろ!!というのもある!ということで。。。