そして、このいっぽうで。
こんな作る側のみの片側の詮索だけでなく、では実際享受する側の様子とは。ということが気になってしまう。
ただ。危惧が含まれているとすれば。
その国独資にしろ、ミョ〜な協和な在り方にしろ、危惧が含まれているとすれば、特定の少数者で決定すると、一面的な施策や価値判断に収まってしまう、ということであろう。そして。これが協和を求めるフワっとしたものの正体であろう。突如背景の情報なしに尾張氏を出すことに違和感を表明したorenestさんの指摘は、いみじくもこの危うさを衝いている。膠着した少数者間の非対称情報下にて、レモンと成すか、ピーチと転じるか。ともあれ、研究者の"欲望は欲望である"とともに、狭い見識にとどまったその状態こそ、レモンを創出する温床に他ならないのである。
で。poliのアラと違和感。
生産消費の脈絡にこだわったために、アラが出、といって国独資に違和感が残った。
国家独占資本主義の略であり、言い出しっぺは、例の激情気味の禿頭才槌頭である。彼にとっての国家は、ブレのない圧力で自分達を踏みつける存在を指した。しかし。そういう国家と比べて、この例もそしてこの国もどうだろうか。随分と低い位置で"天の下知る"といったミョ〜な共和もとい協和的なというかブレ、があるだろう。模索を20年超の年月継続してきたところが膠着したままとは思えないし、こんなpoliなんぞの口ばっかの偏屈の戯言にリツイートしたりしている。むしろ異見を求めているのだ。。。
ブキャナン,タロック,クルーガー2002『レント・シーキングの経済理論』勁草書房
レント・シーキングの理論面。
ムスタク・カーン,ジョモ・サンダラム2007『レント、レント・シーキング、経済開発―新しい政治経済学の視点から』出版研
上の比較制度分析も取り込み、国独資をも俯瞰する分析へ。
青木昌彦・奥野正寛1996『経済システムの比較制度分析』東京大学出版会
いま比較制度分析である。