野口淳2009『武蔵野に残る旧石器人の足跡・砂川遺跡』 新泉社

 後生大事にナニヤラ握っている学校のOBが著したからといって、色眼鏡でみてはいけませぬな、、、
お楽しみはそんな研究史の整理だけではなく、後半にあり!!!!
 疑義の核心たる"砂川型"、あるいはその型が擦り寄らせようと企てられている対象たる"砂川期"の見解の動揺について、衝くべき発語者は、別にいるのでは。
 もっとも、"到達点"界隈で散見したような、上の語句への見解のササラと化した状況が、その件のみに留まることの不毛を、、いやぁ〜こうもよく顕在化したこたあなかったのではないだろうか。それでもなおこだわって検証を加える裂け目があるとするなら、あの"到達点"辺りから(あるいは1993年某論文とかいう話もあるのか??)ではないだろうか、と愚に愚に愚に愚考いたす次第。



ま、それは置いといて。。
 本書は、同遺跡を描いた類書の山ァ山ぁのなか、ようやく人のハナシにも耳を傾ける開かれた人が著せばこうも変わる、という好例である。。持ち上げすぎか。でも、著者の人柄がにじみ出ているような気がしてしゃ〜ない遠い遠いアテにならないpoliの記憶ではあるが
 なによりもこの一般書籍の体裁のなか、森野譲さんの2006年に某研究会で発表したという"野水型遺跡"の紹介をしてくれたことで、同地形、同環境の水系から外れた遺跡の(正確には水系だが、、ワジみたいなもんで、、)なぞが解けることとなろう。
 私見では、岩宿文化資料館シンポの講演録の安蒜講演の挿図にあった神奈川県相模原市田名稲荷山遺跡の位置はナンデなのか、これにより実証されることとなろう。(地元の研究者で、野水の分布を追っている方が実際いらっしゃるし、その田名稲荷山遺跡において、古代期の野水を抜いた溝状遺構"野水堀"が検出、報告されている)時代は確かに動いている。おおげさな!!