と?なると。

 学芸員は制度に絡めとられ、というより自縄自縛してヘンタイかよっ!!、自らモノから引き離しているのか。その代わりに享受する側を制御の対象においているのか、この状況下での展示という行為は、どんなもんなのだろう。展示という行為は、モノを制御するそれである。では導線計画の名の下に、制御、というかゾーンニングあるいはフィルタリングした来館者に、ゆくゆくはその制御の主体を委任する、とでもいうのか。もしそれに着手した場合、学芸員は、その中にあって何をなすのか。

学芸員は、制度に守られてんだか囲まれてんだか。。。。





ただモノを分つ作業を済ませ、「ちがわない」ものは、提供し、または「ちがう」ものは単に置き去りにするのか?
そこから何か語ることはないのだろうか??

やはり、問答はここに戻るのか。。。。。。「オメーがカッテに戻しただけだ」あ。

 語り得ないものは沈黙しなければならない、とかなんとか、頭髪がとっちらかったセンセーがかつていっていたわけですが、このセンセーはそれどころか、どのように「分からへん」かを何度となく書き直しを繰り返した。
 はたまた、デリダはそれをダラダラとテクスト化し、上梓を重ねた。それどころか、「わからへん」ことを語る盟友ともいえるレヴィナスの墓の前で単にアヂューで済ませば良いものを、またどうやらダラダラ語った。信念貫きすぎだろ。
 こういう態度は、上の学芸員の皆様とは無縁なのでしょうか。。。。結びつけるほうがムボ〜だろ、poliとやら。