考古学者でこの論点が、

出てくるのは、やっぱりこのヒトからなのだろうな、と、fischeさんとの語らいのなかで感じていた。
 要は、近年の教科書バカどものお祭りとは反対に、今後の展望にそれこそ彼らが取り沙汰している指向が混入してやしないかということである。fischeさんは、かつて人類学者のなかでそういう混入があることをいみじくも指摘し、これに的はずれな対応を示され困惑されていたことがあった。
 『博物館問題研究』を"間借り"しての某考古学者の発言などにみられるような、既に物故している先達の過去の弾劾に心を砕く態度は、poliには単なる活字の無駄に映る。さらには、
「学史は老後のネタ」
臆面もなく言い放った私の卒論教官のような言いぐさの根底にあるのは、こういうモノへの一方的な注視に留まっている態度であるとすれば、むしろ有害なのではないか。
 そして。
 かようなものよりも今日注意を喚起すべきなのは、眼前に現れている、fischeさんや伊皿木さんが示しているような事態をさすのではないのか。