あ。ちなみに。。
これからみても、上のようなヘタをこくこともあり得るpoliではあるが、せんせ〜のおかげで、本書に対してかようなchoiceをはたらくことを免れた。
「その昔、たまたま店頭で見かけたM.フーコー(Michel Foucault)の名著『知の考古学』を買って、損をしたと憤慨していた考古学専攻生を思い出す。」(421.)私も昔、そんなことを記していた考古学の大先生がいたことを思い出した。
「【引用者略】私は今でもフーコーのこの著書が「考古学」の書架におさめられていてもかまわないし、ある意味においては妥当であり、望ましい事であるとさえも思っている。」(422.)
海の向こうの人達も同様に考えているであろうことは、明白である。
【引用者略】
「日本考古学」は、今まであまりにも「考古社会学」(社会考古学にあらず)あるいは「考古政治学」(政治考古学にあらず)に対して、ナイーブに過ぎたと言えよう。
(伊皿木さんのブログより)
ありがとぉぉぉぉ〜小阪せんせ〜。
ただ。アルケオロジーとア―ケオロジーとの間の取り方は、poliも同感でござい