あ〜ああ〜、日和ってるね〜poli。


ち、ちっげぇ〜よ!!なんでだよぉぉぉぉぉ!!


以上、軽い動揺

これね。


とはいえ、今回のpoliの差し出口は、「文化層」概念の検討を提示した伊皿木さんご本人に向けたものではありません。いつもの反動的な読みに対する杞憂です。poli自身を含めた読者への。
 いや〜困ったことに困るというのもちがうだろよpoli「文化層」概念の検討の論点というのは、貝層に向き合ってきたpoliのお師さんの話とも重なるしおめえだって、掘ったり、貝層巡ってきてるだろうにpoli。あ、そだ、月見野のメンバーとしてブロック概念の検討を行った方から伺ってきたことともまた、、、はい。この符合とというか近似が念頭に集ってくるわけだ。
 しかし。伊皿木さんのコメントには、もっと難問が含まれていた。

大切なのは、何のために「ゲーム」に参加しているのか、その意義を弁え、かつ「札」の切り方について他者から批判された時に、どのように対応するのかが、プレーヤーの素質(本物か偽者か)に関わる点だと思います。
 手札からゲームを連想しちょっとムッとされたのか、とややおびえているpoliだが、それはそれとして。

何のために「ゲーム」に参加しているのか、その意義を弁え

 これですが。この線からすればpoliは、偽者となる由。トホホのホ。ただ。
 意義は、建前としてはでてきても、本義はきっとそのコミットの仕方からひとりひとり違う、のだと愚考致します。
 すべてが相沢忠洋のように得ようと苦慮し続けた家族のだんらんをそこに求めるために、というわけではないだろうし。はたまたアジア的生産様式に符合させんとやっとります!というわけでもないだろう。そう、建前でさえも学史的に遡るだけでも立派に鋭感的なのだと見えざるをえない。
 しかし一人一人の本義は、違っても鋭感的なそれとは違うし、そうだっていってんだろ!と見栄を切っても、多分近々互いが乖離して息切れを起こしてしまうだろう。poliはそうだった。そんなのはpoliだけで、み〜んなもっと素直だって?ほっといてんか!!いずれにせよ、第1第2という大きな2別とは別なところで、一人一人にある内なる二者の乖離とその葛藤がないというなら、poliにはそれこそ偽者、というか自分に嘘をついているのだと思う。鋭感的なそれにあこがれ同化しようとする自分の更に裡にある本義。

お〜い、poli。遺跡はどこ行った?遺構は?遺物は?

そう。彼らと向かい合わないことには、その遡行の手がかりもくそもないのですけどね。

発掘が数日に亘り、運送に託した荷が数日して届いた場合、なるべく早く箱を開けて発掘に対する興味が減少しない裡に整理にかからねばならない、発掘品を全部持ち帰る方法では、すぐにビール箱に二つや三つになる、これを少時放置して興味がそろそろ抜け出した頃荷をほどいては、面倒な気が出て折角掘つたものをそのままにする様な悪癖も出るのである。
中谷治宇二郎1943『校訂 日本石器時代提要』甲鳥書林 pp.28-29 l.14 ll.1-3
原文は旧仮名遣い。太字強調は引用者。)
 思わず、この一節を思い出したので引用。かような放置の都合の良い言い訳になるなら、上のようなpoliのヘタな算用は、ただの毒なのやもしれず。トホホ。