宮台真司・石原秀樹・大塚明子2007『増補サブカルチャー神話解体』ちくま文庫

ありゃ〜、解説が厨先生にも好評だ。禿同!!

うわ〜、言っちゃったよ、言っちゃったよ。いまどき言わね〜よな〜

うむ。poliの感情の発露だ。ほっとけ。
 過日タウンミーティングぶくみのユルッッユルのシンポのネタにされていた無惨なルーマンがそこにあったので、その敷居の低さと同時に敷衍の容易さの危うさをしめしたつもりであった。そういう認識は、毎度おなじみのpoliのウンコな議論に過ぎないといつも通り言い捨てておいたわけである。が。なんかまんざらでもね〜じゃあ〜ね〜の?!
と、まあどうせ上野千鶴子の解説の趣旨はまたもや違うところにあるのだろうね。でもそのルーマン観は、概ね同感である。エラソ
 poli個人は、メディアに現れるかつての宮台像に言いしれぬおぞましさを感じていた。ナニヤラ〝切れ〟そうなものを押さえ込んだような、聞き取りにくいトーンで濃密な内容を早口でしゃべる彼の姿。○まで△テレビにおける議論の紛糾にまぎれて対立者にどぎついことをヘンに押さえ気味に吐いている彼の姿。ああいうのをサイコパスとでもいうのかどないやねんと気味悪がっていたのである。
だから読まなかった。


ん。あ!
『権力の予期理論』(1989 勁草書房)は読んだ。それだけ。以降の著書は、みなさんの大好物でpoliが大嫌いなしろものであった。
 今回、ちくま文庫に入った新版(パルコ出版版だってまだ入手可能であったのだが、たいてい金欠期に出くわす事が多かった。よほど相性が悪いとしか思えない)を手にしたことで、なぜ当時彼が呉・浅羽・大月・大塚などの一掃せんかのような八面六臂の大論客として祭り上げられたのかが、分かった気がする。しかもこれは、『権力の予期理論』にて試乗したその予期理論を実際の社会学の研究対象の分析に適用したものであり、また彼のシステム理論の射程がどのような囲みをなしているのかを体現したものであったことがわかる。やはり読者界隈にて『予期』からの連関が語られないできたことの面妖さは上野ばかりが感じてきたことではないのだろう。
 なお、本書の宮台たちの仕事を赤松啓介のそれの系と短絡させる気は毛頭ない。片やメディアとこれが増幅したシミュラークルに焦点を置いたものであり、片やシミュラークルの反対側の生活そのものに置いたものであるからである。
 ちなみに『権力の予期理論』は、ある意味で『ミク戦』以前のゲーム理論の〝模範演舞〟本ではなかったろうか?