千両役者、見得を切る

 見栄ではなく、見得ですからね。
 これはその続き。ということで。
 まあ。本県にいる以上、poliなんぞも、ビラはいただいているわけです。秋ぐらいからね。確かに萎えるわな、あの文面では。署名する気は湧かない。
 ちなみに、市場化テスト法のクサレが、どれだけ法のカラダとしてどクサレなのかは既に述べた。この
時代の添い寝する尻軽な法規モドキに更に添い寝することを知事挙げて表明したのが、本県である。せちがらくもクソったれな現状は、埋セだけの狭い所帯に留まるものではないわけだ。

どころか。

 実は今回の見得で示されたそれに関しては、fischeさんと、これを同様な話題を語らったことがあったりする。芦屋市立美術博物館の存続の動きについてであった。これにしても、有名な某映画監督などを呼ばなければ一地域の博物館を守れないのか、というか、地元の存続の声はかき消されるのか、というこういった問題は、神奈川に限ったことではないことをいみじくを指し示している。
 あ。何も地元が〝存続を待望している〟などというアマ〜イ期待などしてはいませんがね。poliは、過日に挙げたあの本の内容、人一倍リアリティを感じてますから。だてにガキの時分から「そんなもん、何が面白いの」とか「仕事にならないじゃない?」とか「ロマンがあるね」とかしょ〜もないコトバを浴びせられてきたわけじゃない。

そういう予定調和な品評するやつに、理解してもらおうと何か俺が一度だってしたことがあったか?アア?

こっちはそういう〝法力勝負〟をカッテに妄想し、カッテに拒否する不可解な手合いを長々を見てきているのでいささか食傷気味なのがホンネである。
 それでも本気で憂えるいたってマジメな方がいるのもまた事実である。我々や「善良な一般人」とかいう予定調和な妄想野郎と違って、〝後々〟を考えているのだろうと思う。時代と添い寝する、ことにpoliが激昂するのは、この〝後々〟がそこに算定されていないアドホックなものを含んでいるからである。
 それにしても、東京都政の文化政策のほころび(文京区の某公園や首都大学東京の文系改組の顛末(by 高山宏))なんてものは、それこそ、
財団化しているからDMZの住人だから浸されることはないもんね〜
てなこなあないだろう。むしろ、

う〜ん、ていうか、おまえん家火事じゃね?



エエ〜!?!

ではないだろうか。いずれにせよ、他の岬の火事を眺めているときに限って、てめえのケツが大火事、ということはしばしばあることである。poliなんか、ケツがいくつあっても足りやしないね。
ああ。まったくだ。ほっといてんか!!