過日の続き

 と、いうか、終わってんだぁ!!と独り気ぃ吐いたものの。享受する側からの一面的であったやも、と省みた。が。やはりそうでなくとも、教わる側は、そうそう彼らを待っている時間なんてない。小学校は6年間、中学校や高等学校は3年間。3年、6年で変容する位なら、もう既に完了してるっつ〜の!!という話ではないか。
え〜、足せば、9年間〜12年間あるじゃ〜ん
適応するためのコスト、って勘定がてめ〜にはないんかい!!
、、まあ、12年間あろうと同じではないか。待っていて変化がないなら、結局見限って、こちらの発想を変容するしかないという選択もあろう。例えば、いみじくも本年の頭で示した伊皿木さんの挿話は、この変容の効能を顕現させている。互いの他者への要求で比較的冗長に”抗争”が膠着していたが、ある日、片方の変容によって、その膠着が徐々に収束、事態ごと変容していった過程がみてとれるのである。
 平素、他者への要求ばかりカッテに書き込んでいるこんなpoliであるため、よくやりこめ、ドヤられてきたものだが、こればかりはもっともだと思った”御説教”は、「他人様を変えようと思うなら、自分が先に変われ」であった。これで切り抜けられたことはないではなかったが、大学時代は、変わるための準備が「楽し」過ぎて、トウが経ち、どう変わろうかさえも忘れてしまった。う〜む、バカだろで結局、アドホックに存念をジャブする必要も感じた。わけだが、

ジャブまみれじゃね〜のか?poli


ああ、そうだな。不様で後ろぐれえわい、ったく

ま、自身は変容するなんて、おいそれと成るものではないのは、当然ちゃあ当然。なんすけどね。ただ。

相手が変わるをじ〜っと待つよかマシ

かと。