そりゃ、まあそうですが。

またかよ、このあまのじゃくが!! でも、山内センセー(33)がそう語るってぇいうのなら、こういうのは、なおさらヤバなのでは。


山内 清男(やまのうち すがお、1902年 - 1970年)は、日本の考古学者。縄文土器研究の大家日本の考古学歴史で最も有名な考古学者の一人。
【引用者略】
現在、考古学に係わっている多くの人々(学者、公共団体の埋蔵文化財担当職員)にとって、山内に近い関係であったというだけで尊敬の眼差しで見られる。山内は戦後最も考古学会に影響を与えた学者といえよう。日本の考古学が縄文時代研究が主体なのも山内の影響である。
Wikipedia「山内清男」項の2006年12月10日時点の記述強調は引用者。)
翻って、山内センセー(33)の語り、というのは、これ。(伊皿木さんの引用を引用。)

方今社会、権力等厳つい言葉と合せて、泰西文士の口調を模倣し、徒に標語を作成し、自己陶酔的作品を発表する徒輩があるが、八幡氏の如き責任あるべき学者が、一脈相似た傾向を示されるのは甚だ心外である。
2006-12-08の記述内の引用の引用。強調は引用者。)
 と、本人は、権力に抗する側に立つ研究者人生であった。がしかし。彼がうつつからズラかった後、人々は上のように権力の座に頂いてしまっている。

「本人は権力などふるっていない!!」


「んなこた、聞いてね〜ってんだよ!!これを肯んじている俺ら含めた態度がど〜かってハナシだろうがっっっ!!」

 そもそもWikipediaの記述、京都大学やら関西大学やらで、ガチガチに手堅く型式学的方法を学んだ人等からしてみれば、とんでもなく傲慢なものになってやしないか???
 ところで。鬼の城さんとのコメントを交すなか、権威に弱いpoli、などと言ってみたときに挙げた岡本勇であるが、といって、別に彼がネ申なんてとんでもない。例えば、『尖底土器の終焉』(『縄文と弥生』 1998未来社所収)は、山内の早期の底部形状の進展観から発して早期から前期の資料を分析していくうちに、上の坊の出現によってその進展観が崩れ、瞠目している彼自身、と見ることができる生々しいテクストである。神の如く、とはいったかもしれないが、まぎれもなく人によって示されたものであり、聖書などではない。少なくとも目下考古学者様方に流布しているアノ〝ネ申〟のそれでは断じてないのだ。