そんな与太話をしていたら

 先輩に言われたことありませんでしたかね?
「だまって、実測しろよ!!終わんね〜だろ!!」

  • 〝変に物知り顔の、訳の分かったような大人〟, 〝まるで青臭い若造〟どっちもただの偏見だろ。だいたい褒め言葉だなんて、簡単に読み替えて片づけんじゃね〜よ。そもそも、そういうのを訳の分かったような大人っていうんじゃね〜のか??
  • 研究者を自称するのなら、なんで青臭いなんて評されたのかを考えるかまたはそれが思い当たらないなら、「わかんね〜教えてくれ〜」って諸手を挙げて叫んでみればいいんだよ。
  • 実測するのに、総論を思考しながらみるにしても、総論なんてものは投網みたいなもので、ときどき角張ったものなんかで破れることもあんだろうが。そしたらまた繕って使うわけだろ。無傷な網などありえねえし。
  • それでも、アタマでなんとかしたいというなら、これでも読み返したら。
    • 甲野勇1935「関東地方に於ける縄紋式石器文化の変遷」『史前学雑誌』7巻3号史前学会
    • 山内清男1936「日本考古学の秩序」『ミネルヴァ』1巻4号翰林書房
      • 総論というものが分析を累ねた結果だされるべきか、分析と概括の循環を旨とするかというのをこういうお偉いお方が過去に意見を提示している。しかし決着のつくような事柄じゃあなかったってことは、その直後の赤木清や戦後に入ってからの藤森栄一のくすぶりからも明らか。
  • ポリは、そんな方法論争のできそこないみたいな話は、捏造の直後に即現れると思ったが、全然気配なしだったので、さすがにそこまで駄目じゃないかと高をくくっていた。しかし上のようなていたらくということは、そういうんのでもなかったようで。ちなみに
    • 近代経済学研究会19??世界十五大経済学]富士書店
    • マックス・ウェーバー2000.9『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』岩波文庫
      • 上の2著が方法論争を概観できる文献かなと(他にもあるだろうが)。一時期「やっぱ科学的でないと」と捏造にコメントした浅学は読んで考えるべきかと。さすがにいきなしポパーっていうのは、上等すぎるし、ファイアアーベントでは、なんか勘違いする可能性もあるし。(いたな、そんなひと。引用はしてなかったけども)そのくせ、クーンだけはなんか知ってるという考古学関係者っているんだよな、あれは不思議だ。クーンは、できあがった枠だけがしょうかいされるばかりであることからみて、多分あんまりその成因の説明がうまくないのだろう。バシュラールとか、上の二人とか、ラカトシュとかのほうがまだ攻めやすいのだろうか。
  • ま、目の前に実測しなきゃいけないものがあるなら、それを済ましてからにするに越したことはないかなと。
  • 最後に分析原理主義者に以下の文献。
    • 松沢亜生1992.5〜1994.5「島根・鳥ヶ崎遺跡他採集の石器類」(1)〜(5)『旧石器考古学』44〜48旧石器談話会
      • ポリが、捏造が発覚したとき、先の方法論争より真っ先に想起したのが、この論文の以下の部分である。同じ気持ちの人間が他にもいるだろうと思ったが、未だ出会ったことがない。情けないやら、悲しいやら。これは、実測法を何十年も独行して模索してきた日本人研究者の真摯な危惧ではないか!36人など要領のえんもんばかりじゃぁ!

 ただこうした一連の検討の中で、恐ろしいことに、疑いがあると記述している資料でも、一旦図になってしまうと、あたかも石器のようにみえてしまうことである。そのことをも含め、取りあげ方に細心の注意を肝に命じたい。
 機会あるたびに多くの人にみてもらい、数を増した。反応はさまざまである。正直にいって、具体的に議論できたとはいえない。実験に裏付けをもとうとする、技法を中心とした私の説明が一方的であることも含め、議論が噛み合わないことがしばしばである。ただこうした議論はこの資料がもし発掘資料=層位、場の明かな=であったなら、それだけで問題なく受けとめられてしまう部分が多いに違いない。しかし逆に基本的な石器認識が、そのような状況にあってよいのかどうか、ひそかに恐れを抱くものである。