考古方面に戻ると、、

 この遺跡の今日までの調査成果にとっての焦点として、今回は史跡公園の主体となっている集落だけでなくその担い手達のアウトプットである貝塚の発見と調査についても範囲が及んでいる。ここまで取り上げられたのは初めてであろう。獣骨の依存状態のよい貝層が検出されている。まだすべて記録類が整理しきれているわけではないので、今後明らかにされていく事項であろう。特に柱穴に廃棄した貝ブロックの"出土(というかそこから想定しうるその)堆積状況"は注目である。弥生宮ノ台末期に???縄文後期、晩期ならともかく。。。。(例えばこの貝塚)である。