ポール・クルーグマン1995.9『経済政策を売り歩く人々』

 先日わざわざこんな〝僻地〟に出張ってコメントいただいたYasuokaさんの日記で、紹介した本書の誤りを説いていた。専門の研究者が日本にいるなどとは思いもよらず、つくづく浅いよな俺、みたいな。
 屋根裏からほこりを払い、本書を久しぶりに繙いてみた。
ほ〜へ〜ほほ〜。
 ポール・デイビッドからはじまるわけでつな。さらに難解系もとい縞々学懐!!もとい複雑系のハタケからブライアン・アーサーが参戦したから大騒ぎさ、みたいな感じなのですね。
 、、、う〜ん、技術選択の因果の組列の隠喩としてこのQWERTYUIOPを充てた、と。
 で、これは事実に反する、と。ただ、彼らとしては、


 ポール・デイビッドやブライアン・アーサー、その他の経済学者が一九七〇年代後半から八〇年代初頭にかけて気づき始めたことは、タイプライターのキーボード配列に類似した話は社会経済のいたるところに見いだされるということであった。(p.255 ll.15-17)
 彼らが信じたQWERTYと同様だとおもった例が他にもあるといっているわけだ。でその例示は、以下の通り。

例えば、あなたが特別な映画好きでレーザーディスク・プレーヤーをもっているのでなければ、普通家庭で使っているのは、VHSビデオで再生するビデオデッキであろう。これはVHSが特に優れたシステムだからという理由からではなく、ほとんどのビデオ店がVHSビデオを揃えており、また逆にビデオ店がVHSビデオを揃えるのは、ほとんどの家庭にあるのがVHS再生システムだからである。(pp.255-256 ll.18-19, ll.1-2)
 ま、卑近な例として上の二人が使い始めたのが、QWERTYUIOPなる呪文であったのだ。VHSだのもうひとつ示しているWordPerfectだのでは賞味期限を伴うと思ったのだろう。訳書が上梓された当時、大学2年生だった私にはWordPerfectが何かというのは通じるわけだが、今の学生にはなんだか分からないだろう。件の呪文を刻印された、現に私が触れているブツは、その賞味期限が比較的長い。呪文の呪文たる所以である。正に〝魔が差した〟。いやいやいや、ちっともお後はよろしくないでぇ〜
 で、クルーグマンがこれを第九章にもってきたのは、ポール・デイビッドが曲がりなりにも得た「功徳」、曰く、

この考え方は、市場経済が必ず最善の答えを出すという見方を否定するものである。その代わりに、市場経済の効果はしばしば歴史的偶然に依存していることを示唆しているのである(p.257 ll.3-5)
ということ、さらにクルーグマン自身が、

政略に長けた政府であれば、自らに都合のいいよう歴史的偶然を演出しようとしているかもしれないという意味で政治的な含意に満ちているのである。(p.257 ll.7-8)
ということを指摘し、これを弾みに彼自身の得意分野である経済地理学、国際貿易論に切り込む布石としたかったのである。
 ま、読めばはっきりするのだけど、ここまでYasuokaさんの鮮やかな考証の威力でこの布石まで吹っ飛ばすのは酷な話だと思ったもので。
 過日わたしは、羽入辰郎によるウェーバー考証への反駁の仕方について折原浩の他の岬の火事を使う猥雑さに一人で炎上した。ですからそういう憤りは分かるし、過ちを指摘することは必要であると思います。しかしです。Yasuokaさんの尻馬に乗って反動に走ろうとする輩がね〜。でてきやしないかな、と。
一点突破できても、全面展開なんてこたぁ、そうそうありゃ〜しね〜!!
と、一瞥くれておきたいと思ったのです。それだけ。
食わず嫌いは〜、、、やっぱなしよ。