どの程度、Aができれば、Bを行うことが許されるのか。

そんなもん知るか。分かんねえから、Aと目される対象だけでなくBとしているしろものも眺めてみるってことよ。ポリは、過日に示した甲野勇の論文からそういう態度に接したように思った。だから文献を示した。
縄文土器研究史にみれば、山内清男らによって、縄文土器編年が確立されていく一方で、細別の粒度の不均衡や局所化など主観化傾向が問われ始め、ほぼ時を同じくして小林達雄から土器様式、岡本勇から型式群という一見、細別と逆行する思潮が現れた。これは、Aという思潮の方向性を再帰して出来したBとみることができる。本来なぜ編年をはじめたのか、生活の復原も期待していたのではなかったか、といった感じで彼らは再帰し発想していったのである。
 そうそう、Bに基づき、Aを駆逐してBで定立するという「急ぎ働き」を働いた論文として、以下のものがある。
五十嵐彰2002.3「旧石器資料関係論」研究論集ⅩⅨ東京都埋蔵文化財センター
この方の教え子がこれを示し、「これで分類したい」と申し入れてきた。poliは、これを読後「勝手にしろ。知るか」ともう口も聞かずに一抜けした。その整理作業の成果は一応終わりをみたが、報告を見る分には、結局、この分類の適用を全うできなかったようだ。そりゃそうだろう。自称「完成」品をもって当たろうとは、現象に嘲笑われるのがオチである。予定調和も甚だしい。一度エポケーし、自分なりにあたるしかない。そのための参考文献というならまだしも、これで分類とは。