今野真二2013『『言海』と明治の日本語』港の人


「明治期の日本語に関しての知見を得る」といった時の、その明治期の日本語という枠組みの中で『言海』は編纂されているのであって、『言海』が明治期の日本語から遊離して存在しているわけではない。したがって、考察が「循環」しないように充分な注意を払う必要がある。現代日本語を母語とするわたしたちは、しらずしらずのうち(あるいは意識して)現代日本語を基準として過去のいろいろな時期の日本語を観察する。現代日本語と対照することによって、過去の日本語の(現代日本語とは異なる)ありかたに気づくことはあるので、そうした「対照」を忌避する必要はないと考えるが、その一方で、現代日本語側に一方的に「基準」を置き、それと合わないとただ述べるだけの言説、あるいは合わないから価値がないと述べる言説を目にすることも少なくない。それは携帯電話が相当程度普及している現代からみて、携帯電話がない時期を「不便な時期」とみることとも似て、後の時期に、その時期の価値観を基準にして、前の時期を評価するということといえよう。それが必要な場合もあろうが、過去の日本に関しては、その時期の日本語のありかたをできるだけさながらにとらえ、説明する=描くことがまず必要となる。(pp.8-9 ll.8-13,ll.1-6 強調は引用者。)
 考古学に関わるものが対象とする遺跡・遺構・遺物も、ヒトと残したものである以上、現代人と遊離した存在ではない。現に、規則的に大小の穴を配した大きな楕円の窪地を、"竪穴住居"としたこれまでの研究者たちの見解などは、"類推"という、未分離という発想を前提とした思考の反映に他ならない。
 そのため、循環に注意を払うことよりも肝要なのは、「ありかたをできるだけさながらにとらえ、説明する=描くことがまず必要」なのだ。手法の古い新しいを口にするバカに出くわし、辟易することがしばしばあるが、そういうしょ〜もないヤカラは、上のような"ありかたをできるだけさながらに"捉えようなんて意図は、これぽっちもない!、ということなのだろう。