なんで考古学しているかというよりも、、

 なんで考古学に惹かれるのか、というほうが直截な問いだろう、というのが、伊皿木さんのコメントからも伝わってくる。poliにとってその問いに対するどうでもいいクソ回答があるとすれば、遺跡から突如表れるまんま露出した現象面が、自分の認識という名の"もっともらしい決めつけ"なんぞ、"あっさりと"無化する、重ねた石ころの塔を賽の河原の鬼がなし崩しとするような、こういうことが"繰り返し繰り返し"行われている、その通常科学的(ポパー達が長年相手してきたよう)なかえって"すんなりとした"サイクルにある。
 捏造によって、科学な欠いていたかのようなことをいうむきもあったが、原因者負担だ、ミニ開発だ、と翻弄されつつ、大小行われてきた調査の所見が、望むと望まざるとにかかわらず、常にそういう"渦"を絶やすことなく繰り返してきたことを受け手が単に鈍感になっていただけ、という話は未だない、この不感症な"10有余年"。。。