犬塚康博2015『反博物館論序説』共同文化社 

 fischeさんより。ご恵投いただきありがとうございました。



 著者は、冒頭で従来の博物館論の視点を整理しつつ、こう評しているところがある。


(引用者註。とある著述が、)博物館を巡る諸関係を「官/民」に固定化しておこなわれていた。民に官は内在し、官に民が内在するという、両者の対他的かつ反照的な関係把握は放棄され、頽落した固定的関係においてのみ語られた。
本書 pp.16 ll.12-14

「民」に論旨を導くためには、関係が固定化されていなければならなかったのだろう。
本書 pp.16 ll.14-15

依然として、博物館史研究それ自体から、「博物館とは何か」が抽象されることはない。
本書 pp.16 ll.17-18

官と民を対置して捉えることに囚われる――。

 想起することがある。10年以上も経ってしまった。。。
 ある学芸員が講師を務めた考古学講座のある一講の後、やや疲れ気味にこう漏らしたことがある。そういえば、このとき教材として月ノ輪古墳の発掘調査の記録映画を流したのであった。(奇しくも本書のあとがきで、この発掘にまつわる挿話が記されていて、卒倒しそうになった。偶然ですホント。)


「なんで、ああして官と民とを対立させたいのだろうね」
 遺跡を保存したいという点では同じ方向を見ているのに、というのだ。ましてや、公務員法に公僕とあるのに、とややぼやき気味に漏らしていたものだった。"人様は公というとお上だ、と決めつけるのか"といった悔しさ、もどかしさだったのか。。。

同じ方向をみていることを双方が省みるきっかけは得られないのか――

 上の学芸員氏は、保存運動のさなかの藤前干潟の価値をCVMという環境評価の分析法にて勘定された経緯を知るべく、環境経済学について調べていたのであった。当時poliにとって、経済学は取っ掛かりのつけられない、もどかしい分野でしかなかった。しかし氏の話を伺い、経済学を価値の学としてみることで切り込もうとした。書籍だけに過ぎないものの、そうして触れていくにつれ、そして藤前干潟の分析から模索した、氏による遺跡の価値判断の客観化への指向。それを果たし得たわけではないが、これと重なり、この価値判断という指向それ自体が、先のみている"同じ方向"であり、これへ注意を喚起できまいかと考え始めたのである。

そんな折

 そんな折、poliの生業の分野では市場価値の周縁でLinuxなどオープンソース・プロジェクトの勃興が話題となっていた。そのさなかで、ローレンス・レッシグの『CODE』の訳出が出来した。この書を介してpoliがみたのは、官ではない、一般に民とみなされる立場から制度=CODEが造られ"施行"された姿であった。制度は必ずしも官だけのものではない民からの制度も創出し得るということである。
 ちなみにこの書では、動線計画という作為は、パリ・コミューンの闘士たち【民】も、そこから学んだアメリカ合衆国政府【公】も用いたそれであり、モーゼスとジェイコブスとでニューヨークの街づくりを巡って是非を問われた課題に及んでいたことまで、いみじくも例示していたのであった。
 冒頭の引用に即すれば、官に民が内在する営為を探し求めていたのである。が、確かにそれも上の固定化のリスクが寄り添っていて、図らずもそうなっているような焦燥感がつきまとっていたことを覚えている。

こんな回り道

 こんな回り道したものの、官/民に固定化から免れていなかったのだなあと。。
 さて、著者は、その固定化を排し示したのが、過日に紹介した論考に基づく『銀河鉄道の夜』の読解を媒介した思索である。(本書第1章第1節)この来館者の視座にたてば、件の固定化からたちどころに自由となるのである。展示と来館者の触れ合う場にたち発想する『博物館は生きている』の廣瀬鎭を紹介している(本書第5章第1節)。
 そういえば、いみじくもここで紹介した相澤忠洋の少年期の東京行の挿話は、来館者分析のスーパーヴィジョンとして読みなおすことができる。彼が来館したのは、帝室博物館(現独立行政法人東京国立博物館)なので尚更意義深い。

博物館・遺跡。むつかしい。もどかしい

 ただ、読み進めるpoliには、もどかしさがジワジワとくる。そしてあとがきでもう一度『銀河鉄道の夜』のくだりが触れられたとき。これなのかと思った。博物館も、その収蔵されているものも、その存在意義や所有が別所に措かれた上で論じられているからだ、と。


だれが所有し、だれが求めているのか。
 これがない。そして意味を求める欲望から巧みに身をかわすテキストを世に残した宮沢賢治の最たるこの代表作からの思索には、このフワッとしたものが横溢しているのだ。もっとも、主体ばかりを渇望するpoliは、ややヤマイダレなのやもしれず。。。